2022年12月12日月曜日

報告:一般社団法人三里塚大地共有運動の会 第5回総会記念集会

■第5回総会

 12月4日、一般社団法人三里塚大地共有運動の会は、三里塚芝山連合空港反対同盟(柳川秀夫代表世話人)と三里塚空港に反対する連絡会の共催で第5回総会記念集会を文京シビックセンターで行った。

 冒頭、事務局の大盛力さんが10月3日に亡くなり、総会参加者で追悼の黙とうを行った。

 一般社団法人三里塚大地共有運動の会の総会は山口幸夫代表理事の開会宣言の後、山口さんの議長で議事が進み、総会成立を確認した。

 渡邉理事が議案の報告・提案。事務局から補足説明を行い、新たな関西での登記変更の取り組みなど事業活動報告等が報告された。

 第5事業年度事業計画について、大森武徳理事から、「三里塚は古くて新しい問題であり、若い世代に資料・書籍などを積極的に紹介していく。木の根イベントで毎回会のブースを出す、過去の映像での発信を追求する」などの提案が出された。

 総会で提案された各議案は承認された。

 島田清作監事から監査報告、監事退任の挨拶が行われ、「木更津駐屯地に暫定配備されている陸上自衛隊V-22オスプレイが、2023年1月以降、訓練飛行のため立川飛行場へ飛来する。昨年の第4回総会記念集会で『砂川闘争から三里塚へ』というテーマで講演した。反基地闘争が重要な局面に入っている。今後も三里塚闘争に連帯して反基地闘争を闘っていく」と決意表明した。

 総会は最後に山口さんを代表理事に選任、監事に選任された中川憲一さん(管制塔被告団)が総会閉会あいさつを行った。


■第5回総会記念集会

 第5回総会記念集会には36人が参加した。総会に続いて記念集会でも大盛力さんを追悼する黙とうを行った。

 司会の辻和夫さん(事務局)は、「成田国際空港会社は、発着回数を30万回から50万回に増やす空港機能強化を打ち出した。2029年3月までに3500mの第3滑走路を建設し、夜間の飛行時間延長、B滑走路の延伸などを計画している。10月にB滑走路の延伸工事を着工した。さらに天神峰の市東孝雄さんの畑、櫓などの破壊のために千葉地裁に強制執行の手続きを行い、いつでも取り上げられる事態になっている。私たちが利用している横堀農業研修センターに対してもこの夏に周辺の竹藪を伐採した。これは第3滑走路誘導路建設にあたって横堀農業研修センターを通過するため破壊対象となっている。横堀農業研修センターと共有地は、今後、焦点化していく。来年は再共有化運動40年だ。共に闘っていこう」と訴えた。

 山口幸夫代表理事から総会報告と主催者あいさつが行われ、「世の中は大変な事態になっている。一つは、自然環境の変化という気候危機だ。海面上昇によって日本列島が水没する危険性がある。たった今CO2(二酸化炭素)排出をゼロにしても止めることができない。新型コロナは依然と猛威をふるっている。そのせいで大盛さんが亡くなった」と述べた。 さらに「ウクライナ戦争で世界が不安定な状況になっている。日本政府は、敵基地攻撃能力を持つことを提案している。原発政策に対しても強化、再稼働を提案している。日本の政治状況は劣化している。石油、天然ガス、石炭、ウランなどの地下資源に頼る文明は、そろそろ終わりにきている。次なる文明は地上資源によって共生社会をいかに作っていくかということだ。その意味で三里塚闘争は、非常に大きな意味があった。若い人たちとともに頑張っていこう」と発言した。

 繁山達郎事務局長から法人活動の報告が行われ、「来年は再共有化運動40年だ。今後の目標として会は、木の根共有地の持ち分比率で、空港会社・芝山鉄道の持ち分比率をこえる18%以上に取り組んでいきたい。引き続き登記変更カンパを訴える」と呼びかけた。

 山崎宏さん(事務局)の三里塚現地報告では、「空港会社は第3滑走路建設に向けてカネと力を使って工事を進めている。B滑走路の北方延伸に向けて道路の付け替え、周辺の整備を強行している。来年からは本体工事の整備を行う予定だ。横堀農業研修センターは、第3滑走路と既存滑走路との結接点として存在している。横堀農業研修センターを守りぬこう。連動して空港会社は天神峰の市東孝雄さんの土地を裁判所の強制執行という手段によって取り上げようと としている。反対同盟の分裂という歴史的経緯により、直接的に共に闘うことはできないが、三里塚の農民に対する攻撃に断固抗議する。空港は運輸だけではなく戦争国家体制を作るためのインフラだ。岸田政権を打倒していこう」とアピールした。


■三里塚からのメッセージ

 三里塚からのメッセージでは、農作業中の柳川秀夫さんの映像が上映された。

 次に大森武徳理事が映像で、木の根プールクラウドファンディング、プール開き、横堀農業研修センターの取り組みなどを紹介した。

 加瀬勉さんは、「利権政治と個人主義」というテーマでビデオ映像で決意表明した(別掲)。とりわけ加瀬さんは「東京の空調がきいたコンクリートの建物の中で農民運動はできない。三里塚現地とどう向き合うのか」と強調し、今後の取り組みの方向性を問題提起した。また、加瀬さんが長年取り組んでいる「七三一部隊(関東軍防疫給水部)」の闇を暴く資料ファイルが会場に設置されていた。


■第2部は連帯発言

 第2部は連帯発言。

 岡野純一さん(辺野古にカヌーを贈る会)は、会の活動の報告と協力を呼びかけた。また、辺野古現地闘争、おかのまめさんの作品個展などの映像が上映された。

 福島原発刑事訴訟支援団の斎藤春光さんのメッセージが紹介され、「福島原発刑事訴訟支援団が実施予定の、年内弁論再開を求める東京高等裁判所への要請行動への参加をお願い致したいと思います。行動は東京高等裁判所前にてスタンディングとして、12/20、12:00~13:00実施の予定」と呼びかけた。

 大道寺毅さん(羽田空港を監視する会)は、「羽田空港着陸時の新ルートで3月13日に渋谷区のテニスコートに航空機の氷塊が落下した。国交省に都心ルートの見直しを要求したが、詭弁とすり替えの不誠実な対応を繰り返している。国交省を許さず、安全・環境を守り抜いていきたい」と述べた。

 山田謙さん(東大阪三里塚闘争に連帯する会、関西三里塚闘争に連帯する会相談会)は、「連帯する会は、7団体で構成されている。関西の司法書士とともに一坪共有地移転登記を関西としても取り組んでいる。亡くなる共有者もおり、その後の手続きが大変だった。奮闘して移転登記を継続していきたい」と報告した。

 根本博さん(南西諸島の自衛隊基地に反対する大阪の会)は、「三里塚闘争の仲間たちとともに宮古島で軍事化が進んでいるということで5年前に現地訪問した。大阪で石垣島、与那国、宮古島などに自衛隊基地が建設される事態を伝えていこうということで会を立ち上げた。5回の訪問団を組織した。12月10日に宮古島で展示飛行としてブルーインパルスが飛行する。抗議行動に参加する。三里塚闘争は、軍事空港に反対してきたし、今後、軍事空港も含めて軍事化に反対していこう」と発言した。

 最後に中川憲一監事が閉会あいさつを行い、「3・26管制塔占拠闘争に参加し獄中闘争を闘った。2005年に1億円のカンパを集め政府にたたきつけた。獄中の友人をはじめ色々な友人ができた。布川事件の冤罪被害者・桜井昌司さんが『刑務所に入ったおかげで幸せだった』という気持がわかるようになってきた。これからも死ぬまで友人たちと共に生きていきたい」と発言した。  (Y)




■加瀬 勉さんの決意表明

「利権政治と個人主義」

 三里塚大地共有運動の会記念集会に当たり連帯の決意表明を申し上げます。
 1960年、所得倍増計画国家論。続いて、田中角栄の日本列島改造国家論、以下、歴代の内閣の福祉国家論、災害危機国家論、国家安全保障危機国家論と続いてきたのですが、基本的には国家独占資本の「利益誘導型政治体制」であったと思います。
 これに対して「物取り主義」を目標とする「私生活保守」の中間層といわれた市民層が発生したと思います。議会は形骸化し戦前から引きついできた労農運動も物取り主義に堕落し、市民社会の中に体制内運動に埋没していったと思います。ベトナム侵略反戦運動、政治経済の世界的グローバル化に主体的に対応し、国際的連帯の義務を果たしてきたと言えないと思います。


第三の道を進んできた

 三里塚の農民と連帯する我々は国家独占資本の利権政治経済の前に膝まづき軍門に屈したのか。否、断固とした拒否、空港建設で暴力化した国家に対して生死、生存権をかけて「俺たちは虫けらではない、人間なのだ」と叫びをあげて決起したのであった。
 ①財産権、居住権、思想信条等の基本権を侵害はく奪し、人権主義、民主主義擁護を掲げて闘ってきた。
 ②農地保全、自然破壊反対、人間と自然環境の共生社会の実現に向け地球環境の破壊に反対してきた。
 ③食の安全を求め農薬生産社会を拒否し、食糧は商品ではない人間の生命、命を守るものだ。農地も商品ではない。食糧を独占し、それを武器として世界人民を支配する行為に反対し飢えからの人類の解放を要求してきた。
 ④戦争政策に反対し平和主義に徹してあらゆる人間に対する支配と差別に反対してきた。

 空港建設に反対する我々は利権政治経済に屈服することなく、個人主義に陥ることなく全国の労農市民に対して連帯、協力、共闘を呼びかけ国際連帯の旗を高く掲げて第三の道を突き進んできた。われわれが選択してきたこの第三の道こそ我々自身の将来の未来を約束するものであると確信する。
 それは我々の60余年の空港建設反対の戦いの歴史が証明している。日本財界代表は三里塚闘争を内乱と規定し、三里塚空港建設は戦後自民党政策の中で最大の失敗であったと表明した。
 千葉県の北総の大地の人民が日本の歴史の表舞台で活躍したのは、貴族社会の崩壊、武士社会を出現した平将門の「天慶の乱」と徳川時代書記の「佐倉惣五郎の一揆」である。とりわけ佐倉惣五郎の一揆は日本人民の闘争を今日まで励まし続けてきた。空港建設反対闘争は北総台地の人民の抵抗であり、日本人民の反乱である。先人の偉勲を引き継ぎ、我々も後世に引き継ぐ闘争に三里塚空港反対闘争を発展させてゆこうではないか。


どんな国をつくりたいのか

 我々の立場は、主張は、三里塚空港の廃港である。空港の存在しない国家を作ることができるのか。空港のない国とはどんな国なのか。食糧生産が支配と利潤追求の商品から人間の命の尊厳を守り、人類の飢えからの解放に役立たせるそのための国家とはどんな国家なのか。原発、化石エネルギー中心社会の拒否、それに頼らない国家社会は作ることができるのか。
 我々は平和憲法の戦争放棄の第九条擁護である。世界帝国主義者、ファシストが戦争を行っている現在、武力のない国家、軍隊のない国家は存続できるのか。我々が作りたい国とはどんなものかハッキリした目標をもって活動することが必要である。どのような国を作りたいかということは現国家体制を打ち崩してゆくことである。
 木の根の一坪共有地とプールとペンション。横堀大鉄塔と案山子亭、横堀農業研修センターの土地は国家権力と航空資本の3500m横風滑走路の計画を粉砕した我らの戦歴戦塵の大地である。
 この三拠点の土地は三里塚闘争の拠点であるばかりではなく、日本人民の階級闘争の拠点であり思想の拠点であり、根拠地であり解放区である。
 彼らは土浦─空港─横芝の圏央道の工事、空港拡張工事に着手した。50万回発着の空港拡張計画を断固拒否する。我々は彼らの野望の前に我々は立ちはだかり、三里塚大地に、一坪共有地に熱い思いを寄せ、勇気と誇りと信念をもって日本人民の名において守りぬこうではないか。


墓碑銘

 最後に木の根の一坪共有地の土地を我らに託して身罷った空港反対同盟小川源副委員長の墓碑銘を紹介する。
 故小川源は、1914年1月13日、千葉県山武郡千代田村菱田に父順一郎、母さくの三男として出生。幼少より農業を手伝い長じて軍隊に奉じ、中国北部を転戦。のち戦傷を受けて帰国、再び農業に従事し、1939年に石井さたさんと結婚した。敗戦後、成田市木の根に入植、荒涼たる原野に鍬を入れ、土に血と汗を注ぎこむように開墾、緑の沢野に変え三男三女を育てあげた。
 この間、野菜栽培に研鑚を深め、遠山出荷組合の創設に参加、長年組合長を勤めた。この時、日本政府は突如成田空港の建設を発表、一方的に空港予定地とされた源は、空港反対に決起、「農地死守」のため不屈に闘い続けた。
 1981年、フランス、ドイツに反対同盟派遣団長として趣き、世界の人々に空港反対の意義を訴えた。農業に反対運動に前身全霊を賭けるも、1992年6月3日心半ばにして不帰の客となった。その生涯は理不尽なる国家に対してあくまでも一人の農民として熱く生き抜かんとするものであった。
 1992年9月建立
 〈注 小川家の墓地は三里塚町内共同墓地に建立されている〉


 一坪共有地運動悲劇

 小川剛正さん一家、小川和一、小川明治、小川源、小川七郎さんの空港反対の意志のこもった、木の根宇拓美の土地の譲渡を受けた私は「最後まで反対闘争を貫いてくれ」の意志遺産を私一人が引き継ぐのではなく反対同盟の農民、三里塚闘争に参加している全国の人々、日本の階級闘争に参加している人々に共有して欲しいと私は願った。譲渡を受けた土地を一坪共有化運動に提供した。
 しかしそれは不動産売買運動であると中核派に決めつけられて全国的に暴力、テロの迫害が発生した。私も金沢、横浜、三里塚長原で迫害を受けている。共有化運動推進政治団体の一部も運動を放棄した。芝山鉄道建設で相川勝重町長、三里塚シンポジューム派は、闘争終止符を打ちだし全国的に一坪共有地解消運動を起こした。堀越昭平三里塚大地共有委員会委員長が脱落するに及んだ。
 小川一家、明治さん、源さんの空港建設反対の意志の遺産と土地は空港会社、芝鉄会社の攻撃、中核派のテロ、三里塚の農民の解消運動等にあって迫害され、蹂躙され裏切られる結果に終わっているのである。
 私は権力に反対闘争の意志と土地を売り渡した裏切り者を絶対に許しはしない。階級敵として糾弾する。
 最後に今後の闘いとして①アジア、太平洋地域に新たなる軍事同盟を作ろうとしている ②防衛予算の増大を図っている ③装備を近代化して専守防衛から攻撃に ④港湾、空港を積極的に軍事に利用することに対して闘っていこう。そして、 ⑤戦争政策に反対し、空港を絶対に使わせない闘いを共に行っていくことを確認したい。



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