2024年7月23日火曜日

三里塚フィールドワーク2024

7月14日、三里塚フィールドワーク2024が行われた。主催は三里塚大地共有運動の会とセンター裁判を支える会。参加者はスタッフを含め33人。

午前9時半過ぎ、成田駅前を出発し、車内から東峰地区を見た後、横堀へ。
最初に横堀鉄塔へ。鉄塔、案山子亭、農民像、原勲さんの墓の説明の後、希望者は鉄塔に上って、空港建設の現状について説明を受けた。

次に昨年8月に土地取上・破壊裁判を起こされた横堀農業研修センター(旧・労農合宿所)へ。

平野靖識さん(三里塚歴史考証室)は「労農合宿所は三里塚闘争の中心の一つだった。
91~94年のシンポジウム・円卓会議で国・空港公団は今後空港建設であらゆる強制的手段を取らないと約束。土地収用の根拠になる事業認定を取り下げた。隅谷調査団最終所見では滑走路は合意を形成しながら建設するとされた。我々が合意しなければ建設はできない。

空港会社は、今回撤去を求めて裁判を起こしたが、理は我が方にあり。
空港公団は民事裁判で77年に大木よねさんの畑を取り上げた。このような民事裁判、検問など嫌がらせも『あらゆる強制的手段』に含まれる」




続いて、木の根ペンションに移動。有機野菜弁当の昼食をとった。
子どもの頃に泳いでいたプールを11年に復活させ、木の根ペンション・プールでのイベントを行っている大森武徳さんは「木の根イベントで生演奏の盆踊りを実現。木の根をきっかけに地域の輪が広がっている。若者がここにくれば、社会問題にふれるきっかけになっている。80年代の三里塚の姿と似ている。そういう人たちが集まることが維持活動につながっていく。
当時の若者たちは献身的な活動をしていた。どうやって農民たちを支援していくかを必死に考えながら、当時の現闘の人たちが都市と農村、生産と消費を結ぶとやっていったのを受け継いでいく。皆でイベントを作り、細く長く維持していく。15年後までに維持管理する若者を育てられたらと思う」

次に、柳川秀夫さん(三里塚芝山連合空港反対同盟代表世話人)を訪ね、話を伺った。
柳川さんは「百姓をやっているが、気温が高くて影響を受けている。
空港を拡張しようとしているが。生存に関係するような経済成長が続いている。その矛盾が出てきている。生存が脅かされていく。
田畑が空港会社に渡っている。原野に還るのなら反対しないが、コンクリートに変わる。非常に残念。
菱田地区では有機農業をやっているところは続いているが。山武農協千代田支所に出荷している農家は菱田地区で2軒。ここから見えるところが集団移転地で移転してくる人もいるが、多くは高齢者。
農業をする人がいなくなるのが、崩壊する全ての元。一方で滑走路を増やして発展しようとする。
横堀の私たちの土地、建物が取られようとしている。鉄塔の場所もますます大事になっていく。今後もがんばっていきたい」

第3滑走路計画でつぶされようとしている菱田地区へ。

大森万蔵さん(元辺田部落在住)を案内役に、反対同盟の中心だった辺田、中郷、中谷津、東をまわった。
辺田、中郷はB滑走路騒音地域となり、住居は90年代後半に移転。中谷津、東は第3滑走路で移転対象になる。
第3滑走路の高さは海抜40メートル。数十メートルの盛土が必要になり、中郷・東は滑走路として埋め立てられる。辺田の田畑は遊水地となり、水没する。
万蔵さんの話は、部落で決めると部落ぐるみで反対闘争を闘ってきた古村など、当時の闘争、反対同盟について当事者でないと分からない内容で好評だった。

続いて、第3滑走路北端の多古町一鍬田へ。
町が集団移転先を決め、移転が進んでいる。一鍬田と中郷は機能強化計画で貨物地区となる。無着成恭の寺として知られた福泉寺には、期限までに連絡がなければ無縁仏として改葬するという成田空港会社と一鍬田区長の改葬公告が貼ってあった。

最後に第3滑走路南側となる加茂へ。途中、第3滑走路用地との境となる圏央道の準備工事現場が見えた。
加茂は、731部隊・石井四郎の出身地として知られる。B滑走路で一部が移転。今回第3滑走路で再移転を含めて地区全体が移転を迫られる。
石井四郎実家跡近くにある普賢院は廃寺状態になっていた。
岩山記念館を遠望して、柳川さん、平野さんが証言する次回口頭弁論(11月11日)傍聴の呼びかけが行われ、空港2ビル駅で解散した。

2024年7月4日木曜日

7月1日、横堀農業研修センター第3回裁判傍聴行動

 7月1日、横堀農業研修センター裁判の第3回裁判傍聴行動が行われた。

横堀農業研修センター裁判を支える会では今回も街頭宣伝。雨のため、10分遅らせて千葉県庁前で横断幕を広げてアピールとチラシまき。

千葉地裁では、これまでと同じく601号法廷のある6階廊下で開廷15分前に整理券配布、10分前に傍聴券への引換。
午後2時過ぎに開廷。30人が傍聴。被告では佐藤幸子さんが出席。柳川秀夫さんは欠席。裁判長が清井礼司弁護士に準備書面の内容について質問。裁判は30分近く続いた。
被告側が出した書面で、研修センターのある共有地の地番が「125-1」から1989年の仮処分の時に「125-3」となったことについて土地の分筆からの経過を取り上げた。
清井弁護士は、空港公団が共有者に無断で、共有地の番地を125-3番地に変えたことの問題性を指摘した。
続いて、シンポ・円卓会議で滑走路建設で強制的手段を取らないと約束したにもかかわらず、土地取上げ裁判を起こしたことについて質問があった。
被告側が求めた田村・成田空港会社の証人尋問について、空港会社は代表者の尋問は不要と拒否してきた。
裁判長は強制的手段を取らないと約束にもかかわらず、いきなり裁判を提起したことを争点であること確認。

閉廷後、千葉県教育会館で裁判報告集会。26人が参加。

清井弁護士は「今回、こちらは2つの準備書面を出した。分筆の経緯に問題があるというのがメインテーマの一つ。今回の土地は、元々「125番地」という大きな農地。これを「125-1」という宅地と「125-2」の農地に分筆。「125-1」の土地が共有地として提供された。
それを空港公団は、125-1は125番地の角の土地で、合宿所の土地は「125-3」だと番号を付け替えた。
2つ目は、今後滑走路問題は話し合いで解決していくと政府・公団は言っている。空港会社のホームページにはそう書いてある。話し合いの呼びかけすらなしに、今回いきなり裁判を提訴したことに対して、一旦裁判を取り下げろと持って行きたい」

続いて、辻和夫さん(事務局)が地番問題について補足説明。

被告の佐藤幸子さんは「どこで楔を打つのか。いろんな矛盾が出てきているが、議論を詰めていかないと逃げられてしまうと実感する」

次回で証言する平野靖識さんは「次回は準備して臨みたい。共有地を取り上げるために、こちらのことわりもなしに土地を分筆した。粘り強く抗議していきたい。
シンポ・円卓会議の出口ではあらゆる強制的手段を取らないと書かれた。国土交通省・空港会社には受け入れた責任がある。シンポ・円卓会議は、土地収用法以外の民事的手段が強制的手段に含まれることが明らかにした。裁判は許されない」

7月14日の三里塚フィールドワーク、横堀壁画運動についての呼びかけ。渡邉充春さんから関西の報告が行われた。

次回は9月17日の進行協議の後、口頭弁論は11月11日13時45分。千葉地裁601号。柳川秀夫さん、平野靖識さんの証人尋問が行われる。